今週のお題「読書の秋」
こんばんは。
秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか?
しちほだ(@shichihoda)と申します。
今週のお題が「読書の秋」ということで小一時間ほど、"聴く読書" Audibleの案件を紹介して、私もお賃金が欲しいなあ、などということを考えてみたりしたのですが、すでに公開されている他のブログ記事を思うと、どう考えてもコピペ未満のクオリティのものしか提供できないとの判断に至り、この度もいつもながらの雑記な感じで投稿することにいたしました。
"聴く読書" Audible。楽しいですよ。私は無料体験している最中です。
読書との出会い
小学1年生の頃、授業の一環としてクラスの皆で地域の図書館にうかがい、図書館のカードの発行、図書の選定、受付で実際に借りる手続きを行う、という体験型の課外授業がありました。
これが、おそらく一番古い読書の記憶ですね。
授業では、かいけつゾロリ的な児童書を借りて帰り、帰宅後に読み始めると、それまで体感していたアニメや特撮ものを観るといった視覚・聴覚に頼ったエンターテイメントとは全く違う感触を覚え、いたく感動しました。
まさに頭がパーンとなりました。
かいけつゾロリ的な児童書はすぐに読み終わり、すぐさま自転車で図書館に戻り、返却後、別の児童書を借りました。
こんな具合に読書を初体験してからフルスロットルで駆け出したわけですが、所詮はそこいらにいるちびっこなので集中力が長く続くわけもなく、2冊目を読み終えてからは、しばらく読書することはありませんでした。
読書にハマった(気になっていた)中学時代
小学生時代は6年あったにも関わらず、読んだ記憶があるのは数冊。結局、最初にアクセル全開にした以降はガス欠してしまいました。
ですが、すべての人が等しく患う中二病にかかるころ、それまでひたすらにバットをにぎり素振りに精を出す野球キッズだった私に転機が訪れます。
再び本を手にしたのです。
これには単純な理由があって、中学に上がってすぐに私は筋肉少女帯にハマりました。
で、筋肉少女帯のフロントマン大槻ケンヂといえば本の虫で有名です。
少しでも憧れに近づきたいと思うのは人の性。
私もオーケンみたいになりたーい。こんなトーンで古本屋で単行本を物色しました。
安部公房の箱男なんかを読んでは、「オレ、めっちゃ文学じゃん」などとめっちゃ短絡的なアイデンティティを確立するのでした。
でも、実際のところ、しっくりくるのは小説ではなくエッセイタイプのものでオーケンのものはもちろん、中島らもとか、まついなつきとかを好んで、授業中に読んでました。
美術の授業なんかではとくに酷くて、課題を適当に描きなぐったあとは教室の隅で単行本を開いて悦に入るという愚行を繰り返してました。
今となっては、思い出すとこっ恥ずかしくなる感じが青春っぽくて、こういう学生生活を体験しておいて良かったなって思ってます。
良かったか?
今の私と読書
今現在の私は読書とどう付き合っているのかと申しますと。
ほとんど読んでません。
ほとんど読んでないのにこのテーマで投稿しちゃうのかよ、という向きのご意見は、まあ、真摯に受け止めようとは思いますけど。
というのもですね。
私、本読むのすごく遅いんです。
どれくらい遅いかというのをボリューム感を共有しやすいのでノベルゲームを例にあげますと、CHAOS;HEAD NOAHの全シナリオ読了に2ヶ月ほどを要するレベルです。
もちろん、らぶChu☆Chu!は含みません。
なんで遅いのかというのは自覚がありまして。
文章を読むときの脳みその動きを文字におこしますと、まず目で文字を一文字ずつ追います。
そして、目に入った文字を脳内で音声変換して、ほぼ音読のスピードで再生しています。
それこそ、冒頭の、Audibleで本を聴いてるのとタイム感が変わらないんですよね。
一時期、速読的な読書にも挑戦してみたのですが、単純に文字が目に入って、咀嚼しきれずに次のセンテンスに移るので、ただただ話が頭に入ってこない虚無の時間を過ごす羽目になりました。
もうこれは、頭の作りがシングルコアで、ひとつずつ順番に処理するしかないんでしょうね。
読むのが早い人は、もちろん積み重ねてきた本の山が圧倒的に違くて繰り返してきた訓練の量に差がある、という事実を受け止めつつも、やっぱり羨ましいです。
そんなわけで、今の私の読書量は1シーズンに単行本で1冊程度です。
少なっ!
好きな読み方
前述のとおり、脳内で文章を声に出して読んでいるわけですけど、じゃあ実際に発生してみたらどうなんだと音読してみた時期がありした。
今は同じ屋根の下に妻子をもつ身なので、さすがにやっていませんが、仕事でいらついてしまったり、気分が落ち込んでしまったり、塞ぎ混んでしまったときに実際に行っていた読書術を紹介いたします。
まずは、こちらの本を用意します。
こちらの本は町田康の「町田康全歌詩集 1977~」です。
歌の詩を集めたものになります。
これで読書と言えるのか、というツッコミはそっと心の奥底にしまって最後まで私の言葉に耳を傾けて(目を向けて)ください。
こちらの詩集は歌手としても活動する町田康の音楽キャリアにおける歌詞をほぼ網羅しています。
すごい量です。
ページをめくる度にあらたな歌詞が目に飛び込んで来ます。
この詩集を手に取ったら、目を閉じて適当にページをめくり、開きます。
開いたページの歌詞を真剣に朗読します。
たったこれだけで、うだうだと悩んでいたことが結構どうでもよくなってきます。
では、実際に引用の範囲で再現してみましょう。良かったら、イメージして、今、このディスプレイの前で私と実践してみましょう。
・・・
詩集を手に取りました。
ページをぱらぱらと流していきます。
止めました。
開きます。
読みます。
ファンタジーファンタジーファンタジーが
いつでも心に乱暴するんだ
ポエジーポエジーポエジーが
いつでも心に進出するんだ
革命を目指してた僕ら
暴力で輝いた僕ら
生け花を習ってた僕ら
東京で素直な笑顔
だけど
―『ムルロアの収納』より
ほら、なんか、先程まで頭にあった、言ってしまえば局所的な悩みがどうでもよくなって、あまりにもダイナミックな町田康の詩を喉を震わせて読み上げることで、なんだか大局観のようなものをビンビンに刺激される、そんな感触を得られますよね?
私は、先にあげたようなネガティブなマインドに陥った際にこれを3~5回繰り返すという読書術を実践していました。
おわりに
私の人生においての読書を振り返ってみると、あまりにも活字のインプットが少ないということを痛感します。
趣味とはいえ、ブログという媒体で文字の情報を発信している身なのでもうちょっと読む本の量を増やそうと思いました。
そういえば、Amazonから新しいKindle Paperwhiteが発売されましたね。
IPX8等級の防水機能を備えていてお風呂でも読めますし、明るい日差しのなかであっても反射せず読みやすい。おまけに目に優しい。
場所を選ばず読書に没頭できる素敵なデバイスなので、私のように文章の咀嚼に時間がかかってしまう人にこそ、読書シーンをたくさん確保できてピッタリなのではないでしょうか?
もちろん、1日に1冊や2冊読んでしまう達人には鬼に金棒です。
この秋の夜長にAmazon Kinde Paperwhiteで読書を楽しみませんか?